余震続く最中、被災地を襲う寒波。
雪ちらつく避難所の夜空に、焚き火の火の粉が舞う。
被災者はそれでも夜空に輝く満月を仰ぎ見み美しいと言った。
青いブルーシートに包まれた被災地に春が訪れ、桜が咲いた。
家族を失った者も、家を失った者も、桜を見て美しいと言った。
震災後半年が過ぎ、初夏になり、そこここに紫陽花が咲くと、
避難所や仮設で暮らす人たちが、紫陽花に水やりをした。
紫陽花の周りには井戸端会議に興じる母親たちと、
如雨露を持って走る子供達がいた。
避難所に吹く温かい風に揺れる紫陽花を見たとき、
神戸は少しずつ元気になっていると思った。
その光景が目に焼きついて・・以来毎年紫陽花が咲くと嬉しい。
神戸市の「市民の花」が紫陽花だと知ったのは、
震災後10数年も経ってからだた。
神戸市の「市民の花」が紫陽花になったのは、
神戸市政30周年を記念して、広く市民からアンケートを募り、
1970年(昭和45年)5月27日に、当時の神戸市長をはじめ、
神戸新聞社主催の選定委員会で決定した。
などと「市政だより」に書いてあったと思う。
もちろん、他の都市でも紫陽花はたくさん咲くけれど・・
神戸市では山や街のいたるところに紫陽花が咲き、
神戸市固有種の紫陽花もあり、紫陽花の研究施設もある。
たくさんの種類の紫陽花を観察できるのも、
神戸ならではなのだ。
では・・今日も今日とて花逍遥。